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縁起とはシンクロシステム
 今年は田植えをしてから、田の草取りを一度しただけだった。

でも秋になりると、こんなに実っている!

稲とは本当にありがたい存在だ。


しかし思えば、この稲たちは永い永い間、

人にとってこのうえなく大切な存在であったのだろう。

その結果このように豊潤に実をつけるようになったのだ。


この稲たちを目の前にして向き合っていると、稲にとっても、

人はかけがえのない存在だったのではないかと思えてくる。

そもそも人と稲の関係は、狩猟採集生活をしていた人達が、

氷河期が終わり全く環境が変わりゆく中で、

野生の稲を改良して始まったとされる。

人から見ればそうだろうが、

その地球的規模の環境の大変化の中で、稲という存在側からも、

人に寄り添おうとしてきたのではないだろうか・・・と。



存在の相互性、それを「因縁」とナーガルジュナはいった。

すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、

相互に依存して存在していると。

また徹底した相互依存性としての「縁起」を説き、

大乗仏教全般に多大な影響を与えたという。


そうか、なるほど・・・この田んぼの時間に浸りながら思う、

仏教で言う「縁起」とはシンクロシステムということではないか !


自然という世界はすべてが依存し合って成り立っているから、

本当は自己に主体があるのでは無い。

でもそれは、自分というものが何も無い訳ではなく、

自然という全てが自分の中にもあるということだ。

それを「縁起」というなら、シンクロシステムと言えば良く解る。


僕たち日本人が「自然に何とかなる」と思ったり、

「自然にしておく」のが一番良いと言うのは、こういうことだ。

子供達が「神さまの言うとおり」というのも、消極的自己というより、

積極的にシンクロシステムに委ねるということ・・・


この谷戸田では、黒米や緑米、香り米、赤米、コシヒカリなどを植えている

ので、実ってくるとそれぞれに色づき、まるでパッチワークのようになる。

秋晴れの日、あずま屋でチャイをすすり、この緑のキルトを眺めながら、

人と稲の因縁を味わうのだった。







ricepaper 88 に連載「畔道じかん」より
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