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いのちのまつり
 いまから25年前の今頃「NO NUKES ONE LOVE」を掲げて '88年8月1日〜8日に

八ヶ岳山麓で開かれる「いのちの祭り」に向けて、一生懸命に準備をしていた。

当時ぼくは東京でデザイン事務所をしていたので、グラフィックや会場のデザイン、

パンフレットの編集、あるいは会場内でのパオギャラリー写真展、小川での発電や

水車などソフトエネルギープレゼンテーションの企画、周辺の縄文遺跡でのコン

サートの企画、はたまたデンンマークの風車発電運動のリーダー、エーリッヒ・

ヨシムセン氏の講演招へいなど、言い出しっぺが制作責任者的なルールの中で、

やることは増えるばかりだった。

でもこれは御神輿をかつぐようなこと、この文明のオルタナティブを求める、

あらゆる立場の人が集う「まつり」というかたちを何とか作らねば、・・・

NO NUKESだけではだめだ、ONE LOVEを実現しければ・・・実行委員はみんな

そういう気持ちだった。

半年あまりの間、きっとデザイン事務所を作っていたのもこのためだったんだろう、

という思いでぼくも必死に奔走していたのだった。


その頃はまだ、原発とか環境という言葉自体がなにかタブーのような社会的雰囲気

だった。実行委員の一人が「10年もたてば、企業が環境と言い出すよ」と言ったこと

が信じられないくらいだったのだから。

でもチェルノブイリの事故を受けて、主婦たちが原発に向かってデモをするような

ことが起きるなど、 NO NUKES ! のうねりが沸き起こってきた時だった。


ふたを開けてみると、「NO NUKES ONE LOVE」の呼びかけに、縄文のスピリット

が宿るその場所に日本中から、ひとりで、友達と、あるいは家族全員でやって来た

総参加者は約6000人、うち有料入場者4000人、その他講師やミュージシャンなどの

ゲストや子どもの総数が2000人。(いのちの祭り'88 Jaming bookより)

8日間に行われたシンンポジウムが11回、講演が3回、24種のワークショップと

7つの展覧会が参加した。

韓国、ネパール、タイ、ジャマイカ、アフリカなどからのミュージシャンもいろいろな

かたちで参加が実現した。


最終日8月8日、ホピ族のメッセンジャー、トーマス・バニヤッカ氏がステージに

立ち、ホピに言い伝えられた浄化の日のメッセージを語った。

考えてみればそれは自分が生まれて初めてインディアンに出会った機会だった。






今パンフレットを開くと、いろんな立場の人々が色んな角度からエナルギーを寄せ合い

心をまつり合わせた大きなポイントだったんだなあと改めて思う。

その祭りがどれくらい社会的な変化をもたらせたか・・・それはぼくが思っていたより

とてもゆっくりだった。でも自分の内側では、その時大きな変化が始まっていたのだ。



パンフレット巻頭の実行委員長おおえまさのり氏の言葉の最後にこうある。

「これら祭りのプログラムは一つのモデルでしかありません。そこで何が起こるか、

 それは参加者しだいです。この祭り、それは心と社会の新たなルール、ヴィジョン、

 パラダイムをみんなで求めながらつづけてゆくニューゲームです。

 あなたとわたしの、参加者全員の創意と知恵によって紡ぎ出され、

 織り上げられてゆく祭りです、ゆらぎです、変容です。」





振り返って観れば「いのちの祭り'88」から後、出会いとご縁のなかでぼくが織りなし

てきた著作や絵や音楽は「いのち」の側から世の中に表現してきたものに他ならない。

・・ゆらぎながら、変容しながら。

CDレーベルをつくったのも、田んぼでお米を自給するのも、屋根にソーラーパネルを

設置したのも、ネイティブフルートを奏でるのも、

ぼくにとっては継続中の「いのちのまつり」だ。




そしてこの数年、特に今回の選挙フェスに至っては、社会のなかに、いのちの大きな波

がうねり始めているように観える。

もう世の中が「いのちのまつり」状態なのかもしれない。

'88年に子どもだった世代や、まだ生まれていなかった世代も繋がって・・全員の創意

と知恵によって紡ぎ出され、織り上げられてゆく祭りが、ゆらぎが、変容が・・

うねり始めている。




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