<< October 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
帰るところ
日本語では農的生活に入ることを、帰農と言う。

帰るという字を使うのはやはり、かつて居たその世界へ戻るという

意味合いがあるように感ずる。

ではそのかつて居た世界とは、どんな世界なのだろう。

もっと意識してみよう。

私たちのルーツ、私たちのアイデンティティーの中心にある感覚。

その方向へ意識をむけて行くと、表れてくるのが縄文と言われる時代だ。

しかし縄文時代という一言でくくられてしまった一万年ともいう

この永い時代は、今まで歴史的にはあまり目を向けられなかった。

むしろ閉ざされるように、教科書の中では人々が毛皮をまとい、

狩りをしていた未開な時代のような印象だ。

でも本当は、特に紀元前一千年以降は、いろいろな民族が渡来し

共存するなかで、豊かな里山が生まれていたことが解ってきている。

そしてその里山で培われた文化こそ、衣食住の日本文化の源流であり、

私たちのルーツなのだ。

本来なら歴史では一番詳しく習わなくてはいけないところだろう。



一月の谷戸田は一年で一番静かな時。田んぼになみなみと張った水に、

お日さまの光が反射して眩しいくらいだ。

今日は古神道家の礒正仁さんとイダキ(デジュリドゥ)奏者のKNOBさんが

二月に催される会の打ち合わせにみえたのだが、田んぼを案内したら、

ここで音を出そうということになった。

古神道の祈りの声とイダキと出雲の笛が谷戸に響き合う。

苔むした岩に木もれ日が揺れている。昨日降った雨がしずくになって

その上に落ちてキラキラと飛び散っている。谷中が響き合っているようだ。



全てのいのちと響き合っているという感覚。

あらゆる生きものと共生するところ。

そこが、私たちが帰るところ。





ricepaper 88 に連載「畔道じかん」より

 NPO88 は会員を募集しています! 





縁起とはシンクロシステム
 今年は田植えをしてから、田の草取りを一度しただけだった。

でも秋になりると、こんなに実っている!

稲とは本当にありがたい存在だ。


しかし思えば、この稲たちは永い永い間、

人にとってこのうえなく大切な存在であったのだろう。

その結果このように豊潤に実をつけるようになったのだ。


この稲たちを目の前にして向き合っていると、稲にとっても、

人はかけがえのない存在だったのではないかと思えてくる。

そもそも人と稲の関係は、狩猟採集生活をしていた人達が、

氷河期が終わり全く環境が変わりゆく中で、

野生の稲を改良して始まったとされる。

人から見ればそうだろうが、

その地球的規模の環境の大変化の中で、稲という存在側からも、

人に寄り添おうとしてきたのではないだろうか・・・と。



存在の相互性、それを「因縁」とナーガルジュナはいった。

すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、

相互に依存して存在していると。

また徹底した相互依存性としての「縁起」を説き、

大乗仏教全般に多大な影響を与えたという。


そうか、なるほど・・・この田んぼの時間に浸りながら思う、

仏教で言う「縁起」とはシンクロシステムということではないか !


自然という世界はすべてが依存し合って成り立っているから、

本当は自己に主体があるのでは無い。

でもそれは、自分というものが何も無い訳ではなく、

自然という全てが自分の中にもあるということだ。

それを「縁起」というなら、シンクロシステムと言えば良く解る。


僕たち日本人が「自然に何とかなる」と思ったり、

「自然にしておく」のが一番良いと言うのは、こういうことだ。

子供達が「神さまの言うとおり」というのも、消極的自己というより、

積極的にシンクロシステムに委ねるということ・・・


この谷戸田では、黒米や緑米、香り米、赤米、コシヒカリなどを植えている

ので、実ってくるとそれぞれに色づき、まるでパッチワークのようになる。

秋晴れの日、あずま屋でチャイをすすり、この緑のキルトを眺めながら、

人と稲の因縁を味わうのだった。







ricepaper 88 に連載「畔道じかん」より
 NPO88 は会員を募集しています! 
神さまってどこにいるの?
 

あれは3才位の時だったと思う・・・
「神さまって、どこにいるの?」と僕は母に尋ねた。

台所で料理をしていた母は、手を止めずに少し間をおいて

「そうねえ、心の中にいるのよ」と答えてくれた。

 

田の草取りをしていたら、そんなことを思い出した。

その前後は全く繋がらないのだけれど、その23分の記憶がふと

浮かんで来たのだ。

梅雨の晴れ間、真夏のようなお日さまが背中にあたってジリジリするが、

ずっとスタジオでアルバムを制作していた身にはむしろ気持ちが良い。

田んぼをかき混ぜる水の音に、時々急接近してくる虫の羽音に、

谷に響くウグイスの鳴き声に、空っぽになった身が浸っている。

 

僕はその答えに今とても感謝する。きっとその後の人生にとても影響した

出来事だっただろう。でも今もし僕がそういうふうに聞かれたら、

何て答えるだろう。

・・自然界は太陽や地球から植物、動物、虫やプランクトンに至るまで、

それぞれに自立して役立ち合ながらシンクロして繋がって進化している。

そこに共振しているのは大きなひとつの意識と言えるだろう。

我々人間も肉体を持つ身として自我も必要ではあるが、世界としての

自分もこの身には宿している。そして世界としての自分は大きなひとつの

意識と共振している・・・ 

 

この日差しの下での田の草取りは休み休みにしなければ大変だ。

トンボたちも稲の木陰て休んでいる。ああ日陰が嬉しい季節に

なってきたものだ。

あと半月もすれば稲はグンと背を延ばし、風が吹くと海原のように

波うつ光景になる。

それは田んぼが一年でいちばん光り輝く季節だ。

 

そうだ、こんな答えはどうだろう・・

「私たちは皆、神さまの中にいて、私たちの中にも神さまがいるんだよ」



ricepaper 88 に連載「畔道じかん」より

NPO88 は会員を募集しています! 





 

種蒔きの季節



 

風が吹くと花吹雪が谷に舞う。

泥を盛ったばかりの苗代や、オタマジャクシがいっぱいの田んぼを


祝福するように、花びらが舞い降りた。種蒔きの季節だ。

今日は芽を出したコシヒカリ、緑米、黒米の種モミを蒔く。



 

安田喜憲著「一万年前」によれば、約一万五千年前に最後の氷河期が終り


環境が大きく変化すると同時に、東アジアの海沿いには広大な森林が


成長した。その森に、土器を作って森の幸や海の幸を煮炊きする文化が


現れるのが縄文の始まりのようだ。


そのような森の大回廊沿いに、長江中域で一万四千年前に始まった稲作は


三千年前頃に日本列島まで伝わったという。


実は縄文時代に稲作は始まっていたのだ。




ウグイスの鳴き方も上手になってきた。


山吹が満開で谷の縁が黄金色だ。


今日蒔いている種モミも、実りを繰り返しながら縄文から命を繋げて来たのだ


と思うと、何てありがたいことだろう。




冬から水を張り、耕さず、肥料を入れずにいることで、田は沼のようになる。


それは元々稲の原種が繁殖していた、稲にとってはありのままの状態だ。


だから病気もないし虫にも強いし気候の変動にも対応力がある稲が育つ。


とてもシンプルな話。



水辺で跳ねているセキレイに出会う。


ツバメ達が巣作りの泥を取りに来て舞っている。


夕暮れになると、急いで谷の奥の方へ帰宅するカモの番いが


頭上を飛んで行く。山の背を輝かせて一二夜の月が昇り始めた。



 

実は僕たちが考えていたより自然は高次元のシンクロシステムだ。


僕たちの心もそちらに開けば、よりありのままに、直感的な世界に


繋がっているのだ。


畔道を歩むということ。ありのままの自然の生命の響き合いのなかで、


自分の食べる分の作物を育てること。


それは三次元的に固定されてしまった現代という意識から脱して行くための、


とても楽しくてシンプルなひとつの方法だ。




rice paper 88 連載のエッセイ「畔道じかんNo.26」をアップしました。





うつりあうところ





遠く離れた家族や友人に宛てた伝言をオリオンの四つ星の四角の中に置いておくと、

相手はどこかで、その四角から伝言を受け取る・・・

そんなインディアンの風習を思い出した。

秋分の真夜中、久々のチャコキャニオンで仰向けになって、宇宙と向き合う。

昼間と打って変わって冷えきった大地が、かえって背中に気持ちがいい。自分のなか

に知らず知らずのうちに作っていた枠組みがあぶりだされて、リセットされてしまう。

星の海がぼくの全身に写っている。

旅の最終日にタオス村の秋祭りに出会うことができた。手に手に葉っぱが繁った小枝

を持ち、子供から長老まで、村の男が列になって大地を踏みしめながら唄い、

時に声を張り上げ、村を清めながら練り歩く。

色鮮やかな晴れ着のブランケットを羽織った女達が静かにそれを見守っている。

同じ仕草で踊っている先祖や子孫の姿が彼らの心に映り、見ているぼくたちにも、

それが移ってくる。

ニューメキシコから戻るとすぐに、淡路で開かれた縄文まつりへ。

竹を曲げてワラを葺いたドームにたくさんのキャンドルが輝く美しいステージ。

思いっきりチャコキュニオンの風景を心に映し、笛を吹いた。

音が人の心に響けば、その風景も映り合うにちがいない。


国という枠組み、経済という枠組み、自己という枠組み・・・

自分を確立しようという思いで、主体であると錯覚してしまった自己。

それが積み重なって自己崩壊にまで至ってしまったように見える文明。

でもリアリティーは、互いにうつし合いシンクロしている世界。

そのシンクロする縁のなかに自然にうつし出されて「わたし」は見えてくるのだろう。


旅の前に干しておいた稲を一束づつ掴み、脱穀機を踏み鳴らす。

一息いれて足を止め、腰を延ばして眺めると、緑米が背をそろえて実っている。

ああいいなあ・・・  

輝く風景がぼくの目の前に映っていた。






rice paper 88 連載のエッセイ「畔道じかんNo.25」をアップしました。
88はNPOで運営されています。サポートよろしくお願いします。


Chaco Canyon そして縄文まつり
 今年の春分の日は南国青島神社の竜宮のような亜熱帯植物に囲まれた奥の院で

笛を吹いて奉納をした。

そして秋分には全く対照的な乾燥した大陸の高台にあるチャコキャニオン

笛を奉納していた。

延々と続く荒野からは地平線しか見えないが、近寄ってみると何十メートルも

下のレベルに一つの村が入るようなキャニオンに囲まれた空間があり、そこには

アナサジと呼ばれる古代の人々が岩を積んで建てた巨大な遺跡の数々が今も

残っている。




この地に来るのは10年ぶり、5回目のチャコキャニオンだ。

ここに立つ自分の状況は毎回変わっているが、目や心に映るものはいつも同じだ。

さまざまな色に移りながら染まる明け方の空とキャニオンの岩肌、昼間はまるで

太陽の国にいるような光の世界、日暮れには空と大地が一つの色に中に溶け込み、

そして夜は、まるで星の海に漂う船のように宇宙と対面する。

目に映るものは、一日一日繰り返し廻るその風景と過酷な気温差と乾燥のなかで

生きるハーブたちと時折めぐり合う動物たち以外何も無い。

ここに暮らしていたアナサジのスピリットが心に映る。

だからこそ、自分のなかに知らず知らずのうちに作っていた枠組みが

あぶり出され、リセットされてしまうのだ。






始めてここに来たのは92年、そして自分にとって始めてのインディアンフルート

のアルバム「Chaco Journey」を録音するために遠藤晶美とエンジニアの今は亡き

森さんとやって来たのは94年だった。そこから音も絵もぼくにとっての表現が

始まったのだ。

今回旅を共にするみんなに、そしてチャコキャニオンに聴いてもらうために、笛を

吹いた。19年前にここで生まれた曲をここで奏でられることにありがたさが

沸き上がって来る。

旅の友とチャコキャニオンのスピリットに感謝。

岩陰にいた小鳥が笛に合わせて鳴き始めた・・


                photo/Mami



最後の即興演奏を終えて、目を開けると日が暮れていて、キャニオンの

中央にある岩山がシルエットになっている。その時それが横たわるインディアンの

横顔に観えた。 Ho!   スリーピング インディアン!





目を覚ますとテントの天井に光りが差していたいたので、もう朝なのかと思って

外へ出ると、月が天空で煌煌と輝いているのだった。それはキャニオン中が

見える程の明るさだ。昼間とは打って変わって冷え冷えとしたベンチに仰向けに

なって時を忘れる程、月と星々の輝きに見とれてしまった。

月から少し離れて丁度真上にスバルが見える。少し下がるとオリオンがある。

何かの本で読んだインディアンの風習を思い出した。遠くは慣れた家族や友人に

宛てた伝言をオリオンの四角のなかに置いておくと、相手はその四角から伝言を

受け取る・・・確かそういう話だった。







ニューメキシコから帰って翌々日、淡路島で開かれている「縄文まつり」に向かった。

アメリカのハイウェイに慣れてしまった感覚で新東名や新名神を一気に走る。

旅は続いているのだ。

到着して2日目の夜、竹とワラで作られた縄文ドーム、キャンドルの灯りで、

久々に再会したエバレット・ブラウンと武田好史の「縄文とエロス」と題された

対談に聞き入った。




「縄目を写す、火を移す、縄文土器というメタファー。映し映されるという

関係のなかにこそ主体があるのではないか。それが縄文性ではないか・・」

武田さんの言葉がぼくのなかにストンと入ってきた。

そういえば、この祭りでぼくが担当したワークショップも「自分の心を写す水彩画〜

その絵をみんなの心に映し合う」というテーマであった。



最終日に、94年に共にチャコキャニオンで録音した遠藤晶美と「Chaco Journey」

から「惑星の夜明け」と「星の海」を演奏した。

思いっきりチャコキャニオンの風景を心に映し、笛を吹いた。

つづいて西表の石垣金星を招いての真南風(マーパイ)ユニットでは、西表島の

自然を心に映して「真南風」の数曲を演奏した。



心に風景のスピリットを映して笛を吹く。

音が人の心に響けば、スピリットは写り、移り、映り合う・・・

この祭りのお陰で笛を吹くということの意味がもう一つ腑に落ちた思いがした。


                                                                         photo/ori ka



国という枠組み、経済という枠組み、自己という枠組み・・

自分を確立しようという思いで、主体であると錯覚してしまった自己。

それが積み重なって自己崩壊にまで至ってしまったように見える文明。


でもリアリティーは、互いにうつし合いシンクロしている世界。

そのシンクロする縁のなかに自然にうつし出されて、

「わたし」は見えてくるのだろう。












映り合う心、それが世界。

旅が映してくれるもの、それがぼく。





   

           シャーマンに出会う

       世界が観るビジョンを知る


       ハンターに出会う

       風と静寂を味方にしビジョンをとらえる


       戦士に出会う

       円い大地に根ざす愛と力


       ダンサーに出会う

       自分の中心にある自然のスピリット


         わたしにであう

       この星に生まれ

       過去と未来をつなぐ

       ほんとうのわたし

       世界を織りなす

       ほんとうのわたし




        「星の神話さがし」より


 
水の国


安曇野〜中野〜上田と縄文ランドでの演奏の旅。

ここでは、何と言うか、とてもスムーズにお腹でエナルギーを感じながら

ネイティブフルートを吹くことができる。

この豊穣な地に共通しているのは美味い水、だから野菜も果物も酒も美味い〜

どんな清涼飲料水よりも一杯の自然の水の方が美味しい・・

と心身で思えることの幸せ。

ここは水の国、菌類や苔類や藻類が豊かだから、豊潤な森が生まれる。



旅の最後は榛名湖へ。

演奏をとおして素晴らしい人々に出会い、また新たな旅が生まれる。



葉山に帰ると、まずは田んぼへ。二ヶ月間の日照りの後にようやく雨が降り出して

穂を出した稲が潤っている。



そして最後の蓮の花が散っていた。



季節は廻る。







・・七月に Rice paper 88 に載せたエッセイ・・



溢れるような言葉の情報がありながら、

その中からリアルな流れを汲み取るのは難しい状況。

もはや現状は・・・バベルの塔が崩れる時に人々の言葉が通じなくなった・・・

という神話のような様相だ。

行き詰まったバビロンは恐怖や怒りやプライドという感情を刺激して、

新たな需要を作り出そうとする。マスメディアが流す情報はもはや、

それに組み込まれてしまったことが、あからさまになってしまった。

でもこれは、そういうネガティブなマインドに左右されない精神への進化の場

なのかもしれない・・・と思うことにしよう・・・


田んぼに田の草取りに行こう。

七月は田んぼが一番美しい季節だ。成長した稲の葉が海原のように風に波打つのを

眺めているのは、ほんとに気持ち良いものだ。

今年は梅雨が遅かったので田植えも遅れ、あの風景にはまだなっていないが、

不耕起無肥料の稲は最初に根を充分に張った後に生長し始めるから、

あと半月もすれば緑輝く海原を眺められるだろう。


ここには経済も情報も無い。でもここでは、ミクロの微生物から植物、昆虫、動物、

そして天気に至るまで響き合い、伝達し合っている。

一万五千年前に大陸から切り離され、バビロンから一番遠いところに生まれた縄文

というビオトープでは、言葉はそのいのちの響き合いと共にあったのだろう。


多次元的なシステムのなかに三次元の箱を作り、

その中を情報と物でいっぱいにしてしまったのが文明の今ということだろう。

人工的に肥料過多の稲が病気になったり虫に食われて自然に分解していくように、

今ぼくたちの文明のなかで、そしてマインドのなかで起きていることは、

きっと、自然にそぐわない過剰なものが朽ちて、必要な本質だけが次の次元の

システムへ回帰していくプロセスなのだろう。










山ライブ 海ライブ
お知らせです〜
お盆が過ぎた頃、信州ツアーをします。



8/17 「ひとつのいのち」
   安曇野の築120年の米蔵を改装したギャラリーでのコンサートです

    
  

8/18 「縄文〜シリウス Cosmic Celebration」
   長野市上水内郡のワイナリーにて、文明アナリスト新井信介氏の講演と
   ディナーとコンサートのコラボです

   


8/20 「ネイティブフルート コンサート@ルヴァン」
   天然酵母バンの元祖、甲田さんの上田の素敵なお店 にて・・





そして8/24 は葉山一色海岸
 Blue Moon で波音とのコラボライブです。
momoがパーカッションで参加、舞いの野口暁もゲスト参加の予定です〜










田の草取り
 今年は田植えの時期に日照りが続き、なかなか田植えのタイミングが来ませんでした。

そうこうしているうちに、苗代のなかで苗が育ちすぎて窮屈になってしまい、

田植えの時には苗の状態があまり良くなくなってしまった。

やっぱり水が自由にならない棚田の手植えの場合は、苗代に種モミを蒔く時に

充分にすき間を開けてまばらに蒔くことが、田植え時期の幅をもたせ

リスクを少なくする意味でホントに重要とキモに命じる・・

その後7月後半は以外に涼しかったが、でもまあ持ち直して元気に分けつして、

特に黒米は元気です。



この2週間程は暇を見つけては田の草取りに〜

夕方から初めて、汗をかいて、日が暮れる頃さっと家に帰って風呂に入るのが

くせになる程気持ちいい〜

それで、だいたい田の草取り一巡。さあこれからガンガン暑くなって、稲たち

スクスク育って欲しいもんです。



と言ってるうちに一番早稲の香り米はもう出穂しているではないですか

季節のめぐりは早いもんやね



ワークショップ田では女性陣が、お盆までには草取り終わらせにゃあね〜と

がんばってます。




いのちのまつり
 いまから25年前の今頃「NO NUKES ONE LOVE」を掲げて '88年8月1日〜8日に

八ヶ岳山麓で開かれる「いのちの祭り」に向けて、一生懸命に準備をしていた。

当時ぼくは東京でデザイン事務所をしていたので、グラフィックや会場のデザイン、

パンフレットの編集、あるいは会場内でのパオギャラリー写真展、小川での発電や

水車などソフトエネルギープレゼンテーションの企画、周辺の縄文遺跡でのコン

サートの企画、はたまたデンンマークの風車発電運動のリーダー、エーリッヒ・

ヨシムセン氏の講演招へいなど、言い出しっぺが制作責任者的なルールの中で、

やることは増えるばかりだった。

でもこれは御神輿をかつぐようなこと、この文明のオルタナティブを求める、

あらゆる立場の人が集う「まつり」というかたちを何とか作らねば、・・・

NO NUKESだけではだめだ、ONE LOVEを実現しければ・・・実行委員はみんな

そういう気持ちだった。

半年あまりの間、きっとデザイン事務所を作っていたのもこのためだったんだろう、

という思いでぼくも必死に奔走していたのだった。


その頃はまだ、原発とか環境という言葉自体がなにかタブーのような社会的雰囲気

だった。実行委員の一人が「10年もたてば、企業が環境と言い出すよ」と言ったこと

が信じられないくらいだったのだから。

でもチェルノブイリの事故を受けて、主婦たちが原発に向かってデモをするような

ことが起きるなど、 NO NUKES ! のうねりが沸き起こってきた時だった。


ふたを開けてみると、「NO NUKES ONE LOVE」の呼びかけに、縄文のスピリット

が宿るその場所に日本中から、ひとりで、友達と、あるいは家族全員でやって来た

総参加者は約6000人、うち有料入場者4000人、その他講師やミュージシャンなどの

ゲストや子どもの総数が2000人。(いのちの祭り'88 Jaming bookより)

8日間に行われたシンンポジウムが11回、講演が3回、24種のワークショップと

7つの展覧会が参加した。

韓国、ネパール、タイ、ジャマイカ、アフリカなどからのミュージシャンもいろいろな

かたちで参加が実現した。


最終日8月8日、ホピ族のメッセンジャー、トーマス・バニヤッカ氏がステージに

立ち、ホピに言い伝えられた浄化の日のメッセージを語った。

考えてみればそれは自分が生まれて初めてインディアンに出会った機会だった。






今パンフレットを開くと、いろんな立場の人々が色んな角度からエナルギーを寄せ合い

心をまつり合わせた大きなポイントだったんだなあと改めて思う。

その祭りがどれくらい社会的な変化をもたらせたか・・・それはぼくが思っていたより

とてもゆっくりだった。でも自分の内側では、その時大きな変化が始まっていたのだ。



パンフレット巻頭の実行委員長おおえまさのり氏の言葉の最後にこうある。

「これら祭りのプログラムは一つのモデルでしかありません。そこで何が起こるか、

 それは参加者しだいです。この祭り、それは心と社会の新たなルール、ヴィジョン、

 パラダイムをみんなで求めながらつづけてゆくニューゲームです。

 あなたとわたしの、参加者全員の創意と知恵によって紡ぎ出され、

 織り上げられてゆく祭りです、ゆらぎです、変容です。」





振り返って観れば「いのちの祭り'88」から後、出会いとご縁のなかでぼくが織りなし

てきた著作や絵や音楽は「いのち」の側から世の中に表現してきたものに他ならない。

・・ゆらぎながら、変容しながら。

CDレーベルをつくったのも、田んぼでお米を自給するのも、屋根にソーラーパネルを

設置したのも、ネイティブフルートを奏でるのも、

ぼくにとっては継続中の「いのちのまつり」だ。




そしてこの数年、特に今回の選挙フェスに至っては、社会のなかに、いのちの大きな波

がうねり始めているように観える。

もう世の中が「いのちのまつり」状態なのかもしれない。

'88年に子どもだった世代や、まだ生まれていなかった世代も繋がって・・全員の創意

と知恵によって紡ぎ出され、織り上げられてゆく祭りが、ゆらぎが、変容が・・

うねり始めている。